パドルボード紹介
 
パドボキャンペーン キャラバン2012

「奄美大島 瀬戸内町」 開催レポート

 奄美群島
 本州の南端から洋上を南へ380キロ下ると、沖縄諸島とトカラ列島に挟まれたように、8つの有人島といくつかの無人島とからなる「奄美群島」がある。鹿児島県の種子島と屋久島を除いた、奄美大島から与論島までを「奄美群島」と呼ぶ。
琉球、薩摩、アメリカ領だったこともある、複雑な歴史を持つ島々だ。
中でも最大なのが「奄美大島」・・・大島と名がつくほど、ひときわ大きいのだ。


2012年4月13日の出発は、奄美上空に寒気に伴う雷雲が次々に発生し、
羽田のチェックインカウンターで 「奄美大島に着陸できない場合には羽田に引き返す」 という条件付のフライトだと念を押された。
奄美空港に雨のディストネーションは初めてかも・・・
思えば一昨年の秋にパドボツアーを企画していたのだが、豪雨による水害で断念したし、昨年の秋には、瀬戸内町を襲った豪雨でも被害が発生している。
でも、今は春・・ 普通ならこの時期は安定した晴天が続いているものなのだが・・・

羽田発のJAL直行便は、奄美空港にすんなりと着陸することがができ、預け荷物受け取り所の狭い通路からボードケースを押し出した。  そして、サーファー御用達の西郷レンタカーでいつものキャりま付きライトバンをピックアップ。
パドボをボードケースから出してルーフに積んだ途端に、一陣の雷鳴とともに激しい土砂降りが始まった。
あまりにもすさまじい雨足に、最速のワイパーでも前が見えない!
周辺は煙ったように白く霞み、叩きつける雨音は、まるで一千万人の小人のドラミングのようだ。
路面は見る見るうちに雨水が溜まり、路肩は川のように流れている。


奄美大島の本島は 北東から南西に長く伸び、北部にある奄美空港から最南端に位置する「瀬戸内町」へは、約2時間のドライブを楽しむ・・・果たして今日は楽しめるのか???  不安になるほどの大雨だ。

奄美大島は雨が多い。
そもそも年間雨量が多いことから植物が旺盛に繁茂し、表土のほとんどは亜熱帯性常緑広葉樹林に覆われている。
これが沖縄諸島との最大の違いだ。  グーグルアースの航空写真で見ると、島の99%は原生林の緑一色!
最高峰の「湯湾岳」の頂上(696m)はいつも雲に隠れ、太古の様相を残す「ヒカゲへゴ」や「オオタニワタリ」などの巨大な羊歯類や、「クワズイモ」「ガジュマル」「マングローブ」の原生林などが独特で印象的な風景を織り成している。
独自の生態系から固有種も多く「東洋のガラパゴス」とも言われている。
奄美空港から瀬戸内町までのドライブは、こうした原生林を切り裂いて伸びる国道58号線を行く。
奄美の最大都市「名瀬」の町をすり抜けると、車窓を移ろう景色は海あり山あり川ありで、一時も飽きることがない。                                                                                               

             
             


            西郷レンタカー、キャリア付きライトバン ナンバー116
            いつもお世話になってます。
           昨年、キャリアパッドの代わりに水道管の緩衝材を  勝手に
           巻いたのが、そのままになっていた。やっぱ、便利ってこと?

 

 瀬戸内町

瀬戸内町は、奄美本島側の「古仁屋」の町を中心に、北西の先端にあたる「曽津高崎」から、南東の先端「皆津崎」までと、
その東に位置する「嘉徳」集落を含む広い原生林と、大島海峡を挟んで独立している加計呂麻島、与路島、請島の有人3島と、
いくつかの無人島と、いくつかの離れ磯を含む 広大な地域全体が瀬戸内町なのだ。

小学校と中学校は各島にもあるが、高校は本島の古仁屋に行くしかない。
更に進学しようとするなら、親元を離れて島を出て行かなくてはならない。
いずれの地方も同じように、このような僻地では就職の口も無く、若者が地元に居つくことがむずかしい。
若い世代だけではなく、田舎暮らしを夢見て来る移住者も 3年から5年で出て行くという。
現金収入が無いということは、現代人が生活を成り立たせることが出来ない。ということだ。






瀬戸内町の花はハイビスカス
嘉鉄のペンション「ネプスダイブリゾート」の庭の
木立の八重咲きは、子供の頭ほどの大きさ

 

 パドボ事業部 at 瀬戸内町プロジェクト
                                                瀬戸内町の木は、ガジュマルとソテツ
                                         「ナリの実」と呼ばれる、熟したソテツの実は毒だというが、
                                 貧しい時代の先人たちは工夫してこれを食べ、生き延びた歴史がある。
                                         多くの人が飢え、そしてソテツの毒にあたり命を落とした。
                                    困難な昔の悲話は伝説を生み、島唄になり、今に語り継がれている。


2010年に「瀬戸内町で初の海開き式典を行うので、その会場でパドボの体験を開催できないか」とのオファーが来た。  「パドボの普及のためにも これは願ってもないチャンス」と、二つ返事で快諾してから、早3年目。

瀬戸内町には、サーフショップやそれに準じるような店舗が無い。
ここを訪れるのは、この海に魅せられたダイバー諸君だ。
一般の観光客を受け入れる宿泊施設も じゅうぶんとは言えない。  ましてや、
大島海峡のその先の離島においては ほとんどが自給自足の限界集落と言っても決して大げさではなく、地元で収穫できない食料品や生活物資を購入するために 海を渡って行かなくてはならないのだ。
パドボのキャンペーンと称して、私達がわざわざボードを持ってゆくから、瀬戸内町内でパドボを楽しむ人がいるのであって、この地元でこれを購入して自らが遊ぼうという人は、まだいない。 こう言っちゃなんだが、決して商売には成りえない場所なのだ・・・では、なんで私達はここに通うのか・・・・

 瀬戸内町はパドボのゲレンデとして最高のポテンシャルを秘めているからだ。
だが、まだ誰も この地元民でさえ、その事実を知らない。  
私たちはこの地域の持つ、無限の可能性を 自らが開発したいと望むのだ。
その望みがかなうとき、それが瀬戸内町の収益につながり、地元の若者に就労の場ができれば嬉しく思う。
パドボが瀬戸内町のローカリズムの中に溶け込み、地元の人たちみんなが自慢できる観光要素となってほしいと願う。



あれやこれやで年間100万円近い経費をかけて、夏のシーカヤックマラソンと、春の海開きと、年に2回づつパドボを持って奄美大島に通い、その度にボードを置いて帰ってくるので、だんだんと瀬戸内町内にパドボが増えてきた。
  実久にて、柳沢さんと
パドボ事業部は 「パドボを楽しむためのノウハウ」 を「商品」としている。
それはパドボ・スクーリングメソッドに代表される、オクダスタイルの知的財産権を有する「ソフトパワー」なのだ。
私達はあえてサーフショップの無い地域に行く。 当然、この仕事は短的な収益とは直結しない。。

日本のブランドとして、国内の適切なゲレンデやツアーコースを開拓し、地先の海に精通した地元のガイドを養成するのが重要な仕事だと信じて、事実上の赤字で取り組んでいる。
まったくボランティアと同義だから他のSUP輸入業社にはマネ出来ない業務だろう。


日本の将来へ、パドボ事業部は投資する。
経済的な閉塞状況におかれている、日本の内需拡大作戦と言ってもよい。
日本のパドボーダー諸君には、もっと日本の離島に目を向けてもらいたいと切に願うのである。
 
今回、瀬戸内町内でパドボ公認インストラクター講習会を開催できたことを嬉しく思う。すでに町内にあるパドボを利用して地元の収益を上げるためには、どうしても地元のインストラクターが必要なのだ。
安全に配慮したスクールを開催し、レンタルボードを適切に管理できることが、
お客様を安心して楽しませることが出来る重要な要素なのだから。


パドボインストラクター“レベル1 の講習を終了し、
嘉鉄の集落に3名の公認インストラクターが誕生いたしました。
(レベル1とは、平水面において初心者を指導できる資格です。)
                                            左から、アキラさん、ヨウイチさん、フミヤさん、
                                               今後ともよろしくお願いいたします。
嘉鉄パドボ公認インストラクター プロフィール


渡邉 光 (ワタナベ アキラ)
島を離れ10年後、奄美にUターンし子供達と海遊びを楽しんでいる、ちっちゃなおじさんです。


諫山 洋一(イサヤマ ヨウイチ)
奄美の素潜り漁師。パドボの手軽さと奥深さにハマっています。


嘉原 史也(ヨシハラ フミヤ)
奄美南部、嘉鉄にて小さなペンション&パドボレンタルを営業中。
穏やかなキレイな海での〜んびりとパドボを満喫。ゆったり島時間でパドボを一緒に楽しみましょう。


PADOBOレンタルとスクールのお問合せ・お申し込みは
ネプスダイブリゾート mail : 
nepusu@wind.ocn.ne.jp  電話 0997-72-2393
 嘉鉄
今回お世話になったのが、嘉鉄集落内にあるステキなペンション
「ネプス ダイブリゾート」http://www003.upp.so-net.ne.jp/nepusu/

左の写真は オーナーの嘉原(よしはら)さん親子
ダイバーさんご用達のペンションでありながら、PADOBOを3セット保有しており、レンタルもビギナースクールも可。
ダイビングの合い間に、ちょっと、漕いで見ませんかぁ?
お庭先の海岸は、ビギナースクールに最適なロケーション。
山に囲まれたポケットビーチで、うねりは無く風の影響も受けにくい。
初心者のスクールにはもってこいのゲレンデ!

嘉原家の長男、リョウ君は、嘉鉄小学校6年生
10年後には、パドボのガイドをしているかな?
2012年のパドボの広告にも登場しているよ。

.嘉鉄のゲレンデなら、子供たちがすぐに上手に出来ちゃうのだ! サラちゃんとココナちゃん、ふたりともパドボにハマッタ!




一夜明けて、雨も気温も上がり、奄美のきょら海の色が戻ってきた。
ちょっと漕いでみようか・・と、タックルを持って出動。
リーフの切れ目で、いきなり釣れたのが巨大なダツ!
釣った本人は、自らの身に危険を感じてリリースしたがるのを 強気の妻(私?)が「これ、美味しいって!もったいないって!」
と、無責任にもごり押しに説得。
ウチの旦那は、凶器のような魚をストリンガーにつないで、ビビリながらも 無理やり持って帰るはめに・・・
           
その場で刺身が馬鹿ウマでしたよ!! 
フライによし。
ソテーもよし。
ダツ、ダッチャン!!
             
捨てちゃ いかんよ〜

           

青い体長をくねらせて暴れるダツ

これ、デカ過ぎっっ!!
普通の包丁が、まるで果物ナイフに見えるじゃん・・・

青い歯がヤバイよ〜



徳浜

虹だ (^0^)
古仁屋からフェリーに乗船して大島海峡の向こう、加計呂麻島に渡る。
本日はまたも雨。やられっぱなしです。
寒気が入って大気が不安定で、晴れが2日以上続かない・・・やれやれ。
これじゃ、せっかくのキャンペーンも冴えないよ〜と、泣きが入る。

生間の港から細い山道をたどり、峠を超えると、加計呂麻島の南端にある「徳浜」に下りる。住民数7世帯、15人という徳浜集落は、広大な太平洋に面し、
時折、海を行く クジラを見ることができる。
絶海の集落は携帯電話が通じず、WI-FI が拾う電波もない・・
うっそうとした緑の山と、青い海しかない・・・だから好き○ 

ここでの滞在は、瀬戸内のパドボ第一人者 岩崎弘明さんが切り盛りするペンション
「ヒロ アイランドスタイル」 TEL 0997-76-0811 
ヒロさんは、若いころにはプロを目指したこともある本物のサーファーで、経験豊富な漁師であり、しっかりした経営者としても
信頼できる人物なのだ。



パドボ公認インストラクター プロフィール

岩崎弘明 (イワサキ ヒロアキ)
湘南のサーファーが、加計呂麻島に渡り、素潜りの漁師になった。
徳浜にペンションを開業して5年目。料理の腕は最高!


翌日、雨が上がるのを待って、徳浜のリーフから一度 外海に出て、諸鈍湾に入るというコースタルツーリングを試みた。
朝から南東の風が吹いていて、「午後からやや強く」という予報だが、まぁ、平気でしょう!と高をくくった私たち。
パドボツアーコースのロケハンも必要だったし、所用の電話をしたかったのと、facebookに写真とコメントをアップしたかったの。

徳浜の西に突き出た「サキニの鼻」を回り込んで 「諸鈍」の湾に入れば電波が通じるしね!2時間程度で帰るでしょう。
と、お気楽に旅立った。   その後、思い知らされることになる・・・・






                                    「いってらっしゃ〜い」
                           ヒロと、一人息子のカイ君が見送る
 

リーフの中はこんなに穏やか

外海はこんな状態

「サキニの鼻」を越える。
これが結構な難所だ。

 大揺れの外海から諸鈍の大きな湾に入ると、突然静かな海面になる。
その劇的な変化が面白い!!
おもしろいと言えば、このエリアは岩だらけの荒々しい風景の中に たくさんの奇岩がある。
これについては、次のコーナーで紹介しようね。
                 

行きはヨイヨイ・・・
帰りはオソロシ・

同じ場所が、午後はコンナン!
ドッヒャ〜、ブレイク!!

リーフ内に帰るチャンネルは激流
三角波の嵐!!!

 本音で言って、帰りは「マジ」で漕いだ。
これは、とんでもなくエクストリームなアドベンチャーコースだったのだ!!
少しの風でも激変するのが外洋に面した海面の様相。 ここは離島だよ!と思い知らされた。
徳浜からの出艇は、べた凪のときだけが楽しめるコースだとわかりましたよ。
普通の人が参加できるツアーは、安全な諸鈍湾の中だけをクルーズしましょうね!


大島海峡
今日は、北部のシュノーケルのポイント「デリキョンマ崎」へ、ヒロのボート「海丸」で出発。

生間の港を出て大島海峡の北を望むと、幾重にも山が重なり、これが海だとは信じがたいような景色だ。目標となる建物などは ほとんど無い。
土地勘が無いと 間違いなく迷子になってしまうだろう・・・
山に囲まれている狭い海峡を通る潮の流れは速く、山間を吹き抜ける風も考慮し、最大のリスクマネージメントを行う必要がある。
万が一流されたりして、どこかに上陸し、自分の位置がわからないままに夜を迎えてしまった場合、無防備な野宿は「ハブ」の危険にさらされることになる。

ガイドを付けずにビジターが勝手に出て行っては、取り返しの付かない事態に陥る恐れがあるのが加計呂麻島の現実だ。


.内海の景色・・・ここはどこ?

どこまでも同じような地形が
次々に展開する。わからん・・・

海峡を大きな貨物船やタンカーが往来する。潜水艦もいるのだ。
自分勝手に行っちゃ、だめよ!

 瀬戸内町でパドボする人は、必ず「出艇申告」と「帰着申告」を しなければならないと思う。
安全対策として、「いつ、どこから出る」 「どこを経由して、どこへ行く」 を申告してから、出艇することを義務付けよう。
帰着の連絡がないときには、自動的に捜索隊が組織されるような仕組みを作る必要がある。
万全な安全対策を受け皿にしないと、やがて勝手なパドルボーダーが、迷子になったり、漂流したり、不慮の事故などを起こしたときに、地元に迷惑がかかるばかりか、パドボの将来に影を落とすことになりかねない。
みなさん、くれぐれも地元のガイドと一緒に出てね。


嘉鉄沖、マネン崎の流れ。
この日は小潮だが、渦を巻いて流れている。
まるで川の急流のような音がしている。
ベテランのサトルですら、立っていることが困難だ。
ここでパドルを放してしまったり、シャフトが折れてしまったりしたら、
はるか彼方に流されてしまうだろう。



深浦

平らな土地がほとんど無い奄美大島の 山の斜面を切り開いて道路をつくると 粘土質の赤土は常に土砂崩れを起こす。
特に交通量が多くない加計呂麻島では、陸路を整備するより海上を移動する方が、理にかなっているし、エコだ。
デリキョンマ崎を回りこんだ静かな入り江 「深浦」 に至る陸路は、無い。

                   「薩川」にあるペンション「しびらんか」の
                オーナー、柳沢良裕さんと海上で待ち合わせ。
                           船はジモティーの足なのだ。

パドボ公認インストラクター プロフィール

柳澤 良裕(ヤナギサワ ヨシヒロ)
           航空会社勤務から脱サラ、薩川でペンションを開業。
            海遊びをこよなく愛する。


深浦は、しんとして まったく人の気配が無い。
ゆっくりとパドリングしながら、ぐるりと岸辺をまわる。
ウツギやシャリンバイの枝の間を オオゴマダラ(蝶)がひらひらと舞う。
沢から流れ込む涼しい流れの音と、あちこちで鳴き交わす鳥達の声、昆虫のかすかな羽音が静寂を際立たせているようだ。

その昔は人が生活していたのだという。 崩壊した家屋の残骸があり、珊瑚石を積み重ねた大きな石垣もあるが、その全ては
生い茂る野草と木々に飲み込まれようとしている。
ここでの生活とは 果たしてどのようなものだったのだろうか・・・

海だけがここへ至る道
深浦の最奥から海況を望む

赤い岩の上に張り出す松の緑
まるで盆栽の断崖作りの様だ

ここは癒しのウォーターガーデン
光に満ちたヒーリングスポット



諸鈍の湾
一昨日のコースタルツーリングは過酷なので一般向きではない。と悟り、
初心者にも安全で、誰でも楽しめるようなツアーコースを探しましょう!
ということで、本日は、パドボ初挑戦のアスカちゃんを伴って、ヒロも誘って、諸鈍ベイクルーズに出発。
諸鈍のビーチパークにある、松竹映画「フーテンの寅さん」の碑の前で記念撮影して、fascbookにアップしてから、
ビギナー講習を開始。


初体験のアスカちゃんだが、さすがにサーフィンを得意とするだけあって、すぐにコツを飲み込み、
ス〜イス〜イと スムーズに漕いでゆく。 上手だ。



クリアな ゆるいジェリーを切るが如くに、繰り返しブレードを海中に差し込む。
少し風があるが、海は動かず、キラキラと水面がパドリングで揺らいでいる。

小さなテーブル珊瑚の上を通過しながら、ブレードを水面に出さないパドリングの
レクチャーをしている私のボードのすぐ脇で 何かが鋭く水面を切り裂いた! 
「ジャッッ!」と一瞬、白い帯を引いたかと思ったら、すぐに海中に消えた。

「今の何だ?」と、アスカちゃんと顔を見合わせたが、それきり姿は見えない・・・
再びパドリングの説明に戻り、私のブレードがゆっくりと水中をスゥィープして、
パワーフェイスが 水を捕らえて後方へ押し出した、そのとき、
ゴツン!!と、結構な手ごたえが・・・

あら、あら、子猫ほどもありそうな 大きなアバス (ハリセンボン) が、ブレードに頭から体当たりしてきたのだ。
きっと、アバス君の縄張りだったのね。
私のブレードの動きが気に入らなかったに違いない。 得体の知れない よそ者と嫌われたのだろう。
最初の「ジャッッ!」は、「出て行けぇっ!」という アバス君の威嚇だったのだ。
次の本格的な攻撃に対して、私のブレードは、逃げると見せかけて、強烈な「バックストローク」で、アバス君の鼻先をヒット!!
不意打ちを食らわせてしまったようだ・・・ごめん、ごめん。怪我はなかったかい?

  

ゴリラ岩をみつけました。
どう、このゴリラっぷり!
「キングコング」と命名


ゴリラ岩の角度が変わると・・・
あれれ?

この岩、うつむき加減の
.オジイに見えませんか?

わ〜い、滝だぁ!

今日は大成功!!
素晴らしいツアーコースを見つけることができました。
初めての人も安全に楽しめるね!

実久
晴天は2日しか持たない。早くも天気が崩れてきた。
薩川の湾は、普段は静まり返っているのだが、今は強い東の風を真正面から受けて、ダァン、ダァン、と大きな太鼓のように
海が岸を打っている。
ここ薩川に、ペンション「しびらんか」 TEL0997-75-0628 http://www.geocities.jp/shibiranka
を構えた柳沢ご夫婦は、ホスピタリティーに満ちて、来訪者を心地よい空間で包んでくれる。


加計呂麻島の北部には宿泊施設が少ないこともあり、いろいろな人がここに立ち寄り、出会いと交流の場を提供してくれるのだ。
「しびらんか」では、もちろんパドボのレンタルもスクールもOKよ!

左の写真、中央の寺元薫子お姉さまは、頼りになる観光ガイド。
加計呂麻に惚れ込んで住み着いてしまったという。
島の外を知っているからこそ、ここのよさがわかるのだ。
加計呂麻島の情報サイト「加計呂麻ドットコム」http://www.kakeroma.com/の開設者。
貴重な情報提供をありがとうございます。
「なんでもありBLOG」 すっごく面白いです!




さて、東の風を避けて「実久」(さねく)に行くことにした。
薩川から山道をのぼり、東シナ海を見おろしながら「夕日の丘」を越え、がけ崩れで細くなった、緑したたる林道を慎重に下って、
実久集落に降りてゆく。



                   実久の海を見下ろす、峠の道
          小雨まじりの曇天なのに、実久の湾は青く輝いている。
                   無人島「江仁屋の離れ」を遠望する。

実久集落は島の最北にあり、遠浅の白砂の海岸は順光に映え、「実久ブルー」の海へと沈んでゆく。
深い緑の山に囲まれ大きく弧を描く湾を右回りに漕いで行くと、ソテツが生える岩場と、誰もいないビーチが交互にある。
足元はコーラルリーフが果てしなく続いている。


なんという光景だろう・・・文字通り「サンゴの上をお散歩」しているのだ。

干潮時はフィンがあたるほどに浅く、珊瑚を傷つけないように注意しながら、隙間の狭い水路を縫うように、ゆっくりと進む。
珊瑚はもろく、壊れやすい。絶対にパドルで叩いたりしてはならない。
このような時はできるだけ短いフィンを使用し、リーシュコードもボードに上げておくほうが良い。

  

  

みなさまにご注意とお願い
コーラルリーフの上をパドボするときは、特に慎重にお願いします。
珊瑚の成長には、途方も無い時間が必要です。
あなたのわがままで、珊瑚を壊したり、傷つけたりしないようにしましょう。

また、珊瑚の上に転倒すると、大変危険です。珊瑚は生物なので、傷が化膿して治りにくく傷跡が残ります。

珊瑚と人間がお互い様のリスクマネージメント
1・前方を良く見て、ゆっくりと進む。
2・フィンやリーシュコードが、珊瑚に引かからないようにする。
3・パドルを短く持って、浅く小さくパドリングする。
4・ビギナーはボードに座って漕ぐ。

  












            
                                  奄美の特産
                                  タンカンで、休憩
瀬戸内町 海開き
今回のパドボキャンペーンのファイナルは、海開き   これがメインイベント!
その前日は、またもやバケツをひっくり返したような大雨が、夜半過ぎまで激しく降り続いたのだが
当日の朝には雨が上がり、やがて厚い雲は去り、なんと太陽が顔を出した。  
これはもう、神様のご守護 と言うほか無い!感謝、感謝。




海開き式典は、厳島神社の神主様が司る儀式に始まりました。
招魂に続いて、安全祈願祭の祝詞が、海に染み渡ります。
この夏も事故がなく、みなが楽しく海で遊べますように、
この美しい海に多くのお客様が憩われますようにとお祈りします。
瀬戸内町が「海開き」の式典を始めたのが2010年から、今年で3回目を数える。  
色々なイベントが用意されていて、楽しい!
地元青年会の出店や、漁協による宝探し(海中に 貝を放流して、みんなで拾う。ヤコウガイや テングガイもある)
海上保安庁や地元消防署員による安全講習会が、みんなの命を守る知識を伝える良い機会となっている。
地元アマチュアバンドによるロックコンサートは、かなりいい音を出している。
ここでは、ビーチバレーが人気の種目で、プロの選手を招待して盛り上がっている。
カヤックとパドボも大勢が楽しんだ。










              ご挨拶は、瀬戸内町観光協会会長、横山貞夫さん。
      年季の入ったダイバーで、「おれんち」っていう民宿をしております。
          瀬戸内町で日本発記録種「ヨコヤマハナスズキ」の発見者。
         自分の名前が付いた魚がいるって、素晴らしいですね(*_*)
  
さぁ、パドボしよう!!



パドボは子供達に大人気。
大人は難しがるけど、子供達はすぐに得意になっちゃうのがすごい。
子供は遊びの天才だぁ!!

こ〜んな状態が、夕方まで続きましたとさ・・・


 

回顧
私達夫婦(奥田哲とみゆき)が奄美大島に通い始めたのが、1988年(昭和63年) 2月。
現在の新空港がオープンするときだった。
日本エアシステム(JAS)が奄美大島就航記念にウインドサーフィンの大会を誘致し、その運営スタッフとして訪れたのが最初だ。
その時、実際の新空港は運用開始前で、旧空港(現在の奄美パーク)に 鹿児島空港で小さいジェット機に乗り換えて入った。

当時、知り合った島のサーファーは「マッチャン」 ただひとりの貴重な情報源。
(その後もマッチャンは行く度に必ず会うシマンチュ。それも意図せずにバッタリ出会うのが面白い。
あるときは名瀬の街中で、あるときは長雲峠で・・・最近ではマッチャンの居場所がわかっているので、会いに行くことにしている。)

当時からサーフポイントとして比較的イージーだったのは、手広とビラ。
ブルーエンジェルは大きなテーブル珊瑚の上にドロップするのがスリル満点!
それから、山羊島 (鳩浜・最近では電気屋前とも呼ぶらしい) も底ホレするチュービーランで、潮が合わないとジャンクで恐ろしい波だ。

新空港がオープンして、伊丹空港からの直行便が就航した年に、大阪から来たという消防士サーファー (ジュンとヨシ)の二人と行動を共にしたときには、高いところから見つけた波を求めて、ヤブコギでたどり着いたのが、だれもいない「鯨浜」
たぶん「今井権現」のブレイクだったのだろう。いい波だった・・・
今思うと、ずいぶんと無茶をした・・・まったく考えもしなかったが、もしかしたらハブがいたかもね!

当時、クレータービーチにあったバンガローを根城に、出っ張りや引っ込みがたくさんある地形の奄美大島のどこかに必ず波があるに違いない!と、
野宿する覚悟でサーフポイント探しのドライブをしたのだが、
当時は瀬戸内町に行くまでが 「冒険に次ぐ冒険」だった。
道路はほとんどが未舗装で、左右に曲がりくねり、アップダウンを繰り返し、一瞬も先を見通すことが出来ない。あちこちの斜面が崩れて赤土が流れ、道路に大きな岩が転がっている。
細い林道をふさぐ、がけ崩れや倒木に阻まれて 「本日、これまで」 と、あきらめて
引き返したことも少なくない。 道路情報など皆無な時代、現在のようにトンネルでパス(バイパス)できる前の道路事情は、本当に過酷だった・・・
すれ違うのは土木作業のダンプカーばかりで、サーフボードをルーフキャリアに乗せているのは、私達だけ。

苦労して島中を回り、「うねりが入れば、サーフィンできるだろうな・・」と感じたのは「城」 そして「嘉徳」
「住用」から「市」をまわって、海を左に見ながら嘉徳の集落へ降りて行った。
嘉徳の湾を上から見た地形は完璧なポケットビーチで、きっと素晴らしいサーフポイントに違いないと感じた。

さらに「節子」〜「網野子」〜「伊須」を経て「嘉鉄」に至り、ついに最果ての「ヤドリ」のポイントを見たのだ!!!
アダンの緑の向こうに、クリアブルーの海が広がり、印象的な巨岩の前から完璧にピールするのを発見したときには、
本当に心底、感動した!! まるでサーフロードムービーの 極上のラストシーンのようだった。

当時のヤドリポイントのボトムは枝珊瑚の群落が広く発達していて、とんでもなく浅いけれども、ブレイクした後の水はスムーズに排出されていた。(その後、珊瑚は全滅した。現在、少しづつ珊瑚が復活しているが、枝珊瑚ではない。)
私達が長いドライブの果てに見つけた、危険でパーフェクトなグーフィーのマシンブレイクは、明らかに誰の足跡も無いバージンビーチの向こうにあったのだ。

  それから19年経って・・・
鎌倉でパドボを発売開始した翌年の2007年10月
PADDLE-SURFER 11”4を持って、竢o版社の取材陣を伴って奄美大島に向かった。
この日、奄美にパドボが初上陸したのだ!


まず、倉崎から崎原へコバルトブルー(水深50mを越える海の色は 宇宙の色) の海を渡り、立神へ詣でて記念撮影。
翌日には住用のマングローブクルーズでパドボの楽しみ方を広げ、城ポイントでサーフィンのポテンシャルを確認した。
(ここでもマッチャンと再会!)


2008年、名瀬の「SURF ya san」がPADOBOを購入。
2009年、笠利にパドボレンタル「kazubo」が出来た。
瀬戸内町役場に登庁。「奄美シーカヤックマラソン」への出場許可を得て、2010年パドボが初参加することとなった。

2012年、瀬戸内町内からシーカヤックマラソンに出場する人がいることを 本当に嬉しく思う。
ゆっくりとだが確実に、パドボがこの地域に根付いているとこを感じる。
パドボキャンペーン2012 春の海開きイベントでは、多くの子供達がパドボを放さなかった。
瀬戸内の子供たちよ、みんなで楽しく海で遊ぼう!
パドボで遊ぶうちに自然に体躯を鍛えることができ、自らが遊び方を工夫をしていると、海はいろんなことを教えてくれる。
それは言葉では表せない事なのだ。

今、瀬戸内町では子供達の好奇心と行動力がパドボの将来を明るく照らしているようです。
また近く、パドボ事業部は、奄美大島とその先の島々を再訪します。
みなさまとの再会を楽しみにしております。



PADOBOは「奄美しま博覧会」にエントリーしています

プログラム名 「パドボ体験」 開催期間 2012年7月14日〜9月30日  開催場所 奄美大島 嘉鉄

プログラム名 「パドボで行こう!加計呂麻ショートツーリング」
          開催期間 2012年9月11日〜9月30日 開催場所 加計呂麻 諸鈍









                        テラダは見ていた


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